『サハラに死す』 上温湯隆の一生 

構成/長尾三郎 ヤマケイ文庫 2013.2.5

知る人ぞ知る本の復刻版。
私は最近、『砂漠を旅する』-サハラの世界へ- 加藤智津子/著
によって知ったんだけれど。
この本は70年代当時、相当読まれたようで、
上温湯隆のウィキペディア まであった。
昨夜読み始めたら止まらなくなり朝までに読了。

せつない話しだ。
特に、同年代の息子を持つ母には。
サハラ横断7000キロは、土地の人ですら引き止める、無謀な冒険だ。
それでも、磁石に引き寄せられるような心のありようは、痛いほどわかる。
何かに駆り立てられるようにして砂漠に向かう若者の姿が、
そこに合理的な説明など一切ないそのばかさかげんが、胸に迫る。
著者はプロの冒険家でもない。
ただただ、サハラにとりつかれてしまったとしかいいようがない。

そのうえで、彼の死は、サハラにおいては特殊なものではないと思った。
らくだが死んでしまい、3000キロの地点で一度計画を中断したのち、
リベンジを果たすべく出発する。
だが、新たに買い求めたらくだが、気性があらかった。
水や食料、日記などを積んだまま逃げられ、
見つけることができず、人に出会うこともなく、枯死する。
読みの甘さもあったかもしれないが、何より運がなかった。

それまで3000キロ地点までも、幾度も死の危険と隣あわせだった。
らくだはやはり何度も逃げた。だが、そのつど見つかっていたし、
3日も食べるものがなく砂漠をさまよったときも、
遊牧民に出会い、食料や水をわけてもらえた。
もしほんの少しなにかがずれていたら、
彼はもっと早い時点で死んでいただろう。

死までほんの少しの距離にいるのは、砂漠に暮らす民も同じだ。
遊牧民たちは、乏しい食事や貴重な水を、飢え、渇いた旅人に分け与えた。
なぜなら、いつなんどき、自分も同じ運命に襲われるかわからないからだ。
薬を持っている若者のところに、病気を治してくれと遊牧民が訪れる。
なかには、死を明日に迎えたような子供もいた。
砂漠では、過酷な環境に耐えられない者は、容赦なく淘汰されてしまう。
それもまた持って生まれた運なのだろう。

このように記されることもなく、記憶に残るでもなく、
おびただしい数の人びとが、砂漠で砂に飲まれていった。
そのことを若者が教えてくれたことが、
読み終えたあと胸に沈み込むように残った。

その後、サハラ横断は80年代に日本人によって成し遂げられている。
『サハラ横断砂の巡礼―ラクダと歩いた四八七日』前島 幹雄
これも単独徒歩による過酷な旅だった。

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