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「テロ」の個別の事情&イラク戦争の検証をしない「日本人という安全保障」

フロリダ、イスタンブール、バグダッド、ダッカ –、
6月6日から7月5日までに起きた無差別襲撃殺害事件で、
被害人数の多かった都市(地域)である。
イスラムのラマダン月の一ヶ月は、
ISが世界各地に「ジハード」を呼びかけていた。
が、これらを横一列に「IS関連のイスラムテロ」と並べることには違和感がある。

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断食月、テロ連鎖 フロリダ・トルコ空港・イラク… 「聖戦を」ISあおる(朝日新聞 2016.7.6)

異なる背景

ほとんどにISが犯行声明を出している。それを否定する別の組織があるわけではない。たとえ実際にISが関与していなくても、行った側もISの側もそうしておいたほうが得策ということなのだろう。では、フロリダのナイトクラブ襲撃とイスタンブール空港の襲撃、バグダットの繁華街での自爆攻撃とダッカのレストラン襲撃は、動機や目的を一にする犯行と言えるのだろうか。

目的を、ISに敵対する国や人々を恐怖に陥れるため、と規定すれば確かに合致はしている。対象も第一義的には「十字軍(有志連合)」及び不信仰者(対立宗派も含める)で、意志一致されているようでもある。が、十羽ひとからげに、全てイスラム主義者たちがISを支持するために行った犯行だ、と言えるだろうか。

フロリダで狙われたのはLGBTの支援センター的な意味合いも持つナイトクラブだった。といっても、アメリカでは性的マイノリティーに対する権利保護が向上してきたためため、LGBT専門のクラブの必要性は薄れており、むしろより幅広い人たちの多様性を受け入れるスポットであったようだ。犯人の父親はインタビューに答えて、息子の犯行はイスラム急進主義というよりも、ゲイ・フォビア(憎悪)であると語ったという。

イスタンブールのアタチュルク空港では、攻撃は無差別なものであった。犯行の計画と指揮はチェチェン人の戦闘員によると報道されている。実行犯はロシア、ウズベキスタン、キルギス国籍で、彼らに共通するのは中央アジアの反ロシア武闘派ということであろう。前日にエルドアン大統領がプーチン大統領に航空機撃墜について謝罪しており、ロシアにすり寄るトルコを攻撃したという読みも可能だ。

と二つを並べてみたが、犯行の背景も異なるし、実行に至る動機も全く別だと考えるほうが自然だ。これらを一連の「ISのテロ」とくくってしまうと、それぞれの国や地域や個人が抱える、その犯行に至る問題がかすんでしまう。

※ バングラデシュの事件に関しては以下7月6日追記部分に書いた。
モロッコ、旅の安全と情報収集について(’16.7.6追記 バングラデシュで日本人犠牲)

こういう事件の後には、必ず、「日本でもテロが起きるのでは…」という不安が増大する。恐怖は目の前にある危険に対して直線的に降りてくるが、不安は見えないものと分からないものからじんわりと湧きあがってくるからだ。

考えてみよう。日本に、国内で、あるいは近隣諸国から、独立闘争を制圧され、難民化して浮遊しているような人々がいるだろうか。チェチェン人元ゲリラやクルド独立派が潜むことが可能な、あるいは彼らのような武闘派を必要とする、組織なり集団なり騒乱なりがあるだろうか。武器を調達し、計画を練り、自爆さえ厭わずに空港を襲撃しなければいけないほどの強い社会圧は、集積しているだろうか。

が、フロリダ型の犯行は、起きる可能性があるように思う。もしも日本でも簡単に銃が買えるとしたら。この時使われた「アサルトライフル」(殺傷能力の強い自動小銃)が、何の規制も無く気軽にショッピングセンターで買えてしまうとしたら。

日本でもこれまで無差別殺人事件は起きている。実は、数から言ったら日本では凶悪犯罪は年々減っているのだけれど、でもないわけではない。車を凶器としたり、バスジャックしたり、というような事件で、彼らがもし、苦も無く銃を手にできてしまったら。

アメリカでは二人の大統領候補が、それぞれの主張を声高に繰り返した。トランプはそれ見たことか、移民・難民を入れるからこういうことが起きる、と叫び、ヒラリーは銃規制の必要性を強調する。犯人はアフガン二世であった。今さら移民・難民を規制しても仕方がないではないか、と思うけれど、これが相変わらず支持されている。というところがそもそもアメリカの無差別殺戮の遠因ではないのか。つまり、格差と分断とヘイト+銃。

ヨーロッパで銃は規制されているが、中東の政治崩壊の余波が重なり、トルコやロシア(中国も潜在的に抱えている)では民族独立問題が重なっている。

イスラムジハード主義に走る「世代間」闘争とニヒリズム

しばらく前、朝日新聞に興味深いインタビューが載った。欧州を代表するイスラム世界専門家オリビエ・ロワ氏は「今の現象はイスラム教徒の過激化でなく、過激派のイスラム化だ」という。
過激派のイスラム化 欧州大学院大学教授、オリビエ・ロワさん(2016.6.11)

「実際には、・・・過激になる前から敬虔(けいけん)なイスラム教徒だった若者は全くいません。布教にいそしんだ人、イスラム団体の慈善活動に従事した人も、皆無に近い。イスラム教徒への差別に抗議の声を上げもしなければ、学校での女生徒のスカーフ着用を巡る議論に関心も持たなかったのです」

「彼らは礼拝もせず、逆に酒や麻薬におぼれ、イスラム教が禁じる食材も平気で口にしていました」

「彼らの多くはまた、自動車盗やけんかや麻薬密売といった犯罪に手を染め、刑務所生活を経験しています。つまり、ごく平凡な『荒ぶる若者』に過ぎません」

「今起きている現象は、世代間闘争です。若者たちは、自分たちを理解しない親に反抗し、自分探しの旅に出る。そこで、親のイスラム教文化とは異なるISの世界と出会う。その一員となることによって、荒れた人生をリセットできると考える。彼らが突然、しかも短期間の内にイスラム原理主義にのめり込むのはそのためです」

「彼らが魅せられるのは、ISが振りまく英雄のイメージです。イスラム教社会の代表かのように戦うことで、英雄として殉教できる。そのような考えに染まった彼らは、生きることに関心を持たなくなり、死ぬことばかり考える。自爆を伴うジハード(聖戦)やテロは、このような個人的なニヒリズムに負っています」

「冷戦が崩壊し、共産主義はもはや若者を魅了しなくなりました。左翼思想は辛うじて生き残っていますが、インテリやブルジョアのたしなみに過ぎない。移民街の貧しい若者を魅了しません。彼らの反抗のよりどころとして、現代に唯一残ったのが、イスラム教のジハード主義です。若者たちは今、テロ組織『アルカイダ』を率いたオサマ・ビンラディン容疑者を、革命家チェ・ゲバラになぞらえるのです」

「現在起きているのは、若者たちの個人的な意識に端を発する現象です。イスラム社会が過激化したわけでも何でもない。イスラム社会が抱える問題とは全然関係ありません」

「移民出身のイスラム教徒系住民の層は、社会的に恵まれない層と、往々にして一致します。つまり、麻薬の蔓延(まんえん)や過剰飲酒などこのような地区が抱える問題は、イスラム教によるものではなく、社会的要因に基づくものなのです。むしろ、マフィアの存在、地下経済の広がり、行政の無策が生んだ状況だと考えられます」

「『イスラム過激派の脅威』があちこちで叫ばれますが、現実とはかけ離れた、いわゆる『空想的地政学』の産物に過ぎません。中東で起きている紛争も、実際には宗教的要素が薄く、基本的に国家間の争いだと位置づけられます。その過程で、国家が国境を管理できなくなり、国内少数派をうまく扱えなくなったのが現状です。IS問題の原因もそこにあります」

 ――欧米はISに対する空爆を続けています。

「確かに、現地でISと戦う勢力への支援にはなるでしょう。ただ、その軍事行動に『テロとの戦い』などの思想的な意味づけをしてはなりません。欧米との決戦を掲げるIS側の思うつぼです」

「実際には、シリアの紛争は『テロとの戦い』でも何でもありません。地元の事情に基づく地域紛争なのです。イラクの紛争も、西アフリカのマリの紛争も、みんな固有の事情に基づいています。それを無視して『イスラムのテロリスト』のレッテルを相手に貼るばかりならば、物事の本質を見失うことになるで しょう」

彼らの「イスラム・ジハード主義」が、世代間(社会的あるいは所得階層間や人種・民族間もあるとは思う)の対立に「ニヒリズム」が加味されて成立するのであれば、かつての反共キャンペーンやレッドパージのように「イスラム」を叩いても、意味はない。むしろ穏健なイスラムをジハード主義に向かわせ、「欧米との決戦を掲げるIS」の 望み通りの結果となる。そうではなくて、「固有の事情に基づいている」それぞれの場で、それぞれの『荒ぶる若者』問題や社会問題、地域紛争を、暴力ではない手法で解決していくしかないのだと思う。

と書くうちにも、アメリカはテキサスで白人警官への銃撃事件が発生し、5名が殺害された。白人警察による不当な黒人殺害が続くことへの報復とみられる。ここにあるのは、銃社会と暴力の連鎖、差別とヘイトとカウンターの過激化、格差と分断などである。

テキサスの襲撃は、問題に抗議するデモのさ中に行われた。目前に二つの手段がある。デモとテロ。言葉と拳。ペンと剣。外交と戦争。前者の優位性と効力を高めることだけが、後者の抑制につながる。

「テロとの戦い」の検証と、もう一つのテロ

がしかし、この国のトップは相変わらず、「断固としてテロを許さない」「テロとの戦いを支持する」というような言葉を強い口調で言い募るばかりだ。アフガン-イラクに始まった「テロとの戦い」で「テロ」は撲滅できず、かえって拡散してしまった。強力なジハード主義と共に。このことの検証と反省のあまりの欠如、これもまたこの国が抱える固有の問題の一つである。

イギリスでは、イラク戦に参戦を決めたブレア政権の判断を厳しく批判する調査報告書が出された。
イギリスは、なぜ間違えたのか。調査報告書が審判した「根拠なきイラク戦争」
(ハフィントンポスト 2016.7.7)

イラク戦では179名のイギリス兵が命をおとした。報告書を受けての家族のコメントである。

弟を亡くした女性は「ブレア氏は私の家族を奪った世界で最悪のテロリストだ。イラクでは、市民が戦闘に巻き込まれて殺害され、今も破壊が続いている」と怒りをあらわにしていました。(NHK 2016.07.07)

イギリスはこのような調査を行い、時の政治指導者の責任を「テロリスト」という言葉で責める者すらいる。「テロ」の定義を、「特定の主義主張の遂行のために反対者を暴力的手法により排除し、あるいはこれの受け入れを暴力の恐怖により強要する行為」とすれば、ブッシュJrが始めた「対テロ戦争」は、大義(国際法が認める戦争の条件)が崩れた瞬間に「テロ」と同義になる。

報告書が出るのが遅すぎた、という指摘もある。が、イギリスはこの「チルコット委員会」以前にも、数回の調査委員会を設けている。それらの報告が納得のいくものではない、とことん調査すべし、という国民とメディアの強い要請があったからこそ、このような膨大で綿密な調査が可能となったのだ。
英国で260万語のイラク戦争検証報告書、発表へ ──チルコット委員会はどこまで政治責任を追及するか(Newsweek 2016.7.1)

イラク戦争は、ある意味世界の枠組みをも変えてしまった、否、現在進行形で今も変えつつある、その契機となった戦争である。中東の破壊を震源に波及する暴力が、それぞれの地域の「固有の事情」と結びつき、複雑にからみあってしまっている。

当時イギリスでは100万人規模の反戦デモもあった。「大量破壊兵器」に対する疑問も指摘されていた。にもかかわらず、戦争を止められなかった。指導者の責任を問う行為は、同時に国民の自省と、今後の国の選択の指針ともなるだろう。

日本の報道で気になるのは、イスラム関連の事件は「テロ」と呼ぶが、それ以外の暗殺や殺戮は「テロ」と呼ばないことである。イギリスでEU残留を訴えていた国会議員が殺害された。これも上記の定義に当てはめれば「テロ」であるが、そういう言及はなかったと思う。

こんな記事が目に留まった。
ISのテロ以上に懸念される極右勢力のテロ (日経ビジネスONLINE 2016.4.13)

和田大樹氏は、欧米ではアルカイダ系のジハード主義者による脅威が、ISが登場する以前からあったことと、パリやブリュッセルの後、さらにISがらみのテロが起きる不安を指摘している。けれども、「ISのテロ以上に懸念しているのは、欧州の極右主義勢力、極右主義者によるテロだ」という。

(2012年ノルウェーの首都オスロにある政府庁舎が爆破され、その近くにあるウトヤ島で銃撃で77人が犠牲となった。この事件を起こした白人金髪のノルウェー人)ブレイビクはイスラム主義から自国を防衛するのは使命であると述べ、異文化へ寛容な政策を採り続ける政府に不快感を抱いていたとされる。またブレイビクは、イスラム・ジハーディストの一匹狼的なテロ手法は、 自らがテロを行う意味で非常に参考になった、とも述べている。

この場合、犯人が反感を持つ相手の「手法」を学んだのなら、その「主義」にも影響されたと考えることも可能だ。ロワ氏の定義が、一部を入れ替えるだけでほぼそのままあてはまる。「反イスラム教社会の代表かのように戦うことで、英雄として使命を果たせる」と。殉教を使命に置き換えてみたけれど、殉教のままでも成立しそうだ。

以前、想田和弘氏の「テロリストを抹殺してもテロはなくならない、何故ならテロはアイデアだからだ。一人のテロリストを殺せば二人のテロリストが生まれる」というようなツィートを紹介したけれど、「ジハード主義」の増殖力、伝播力は、どうやらイスラムであるか反イスラムであるかを問わないようだ。

そして間違いなく、「ジハード主義」が増殖し、伝播していく大元には、国家による「特定の主義主張の遂行のために反対者を暴力的手法により排除し、あるいはこれの受け入れを暴力の恐怖により強要する行為」がある。だからこそ、アサド政権の無差別殺戮は許してはいけないし、誤ったイラク戦争は厳しく検証しなければいけないのだ。

「日本人であること」の安全保障

日本は検証が苦手だ。責任なんてほおっておけばたちまちうやむやになる。イラク戦争でサマワに自衛隊を派遣したことについては、「直接戦闘に関わっていない」「復興支援である」ことから、「検証の必要なし」とまで答弁している。日本はアメリカ(の戦争)に黙ってついていくしかないのだから、検討も検証も、だから判断も反省もない、が本音であろうか。が、こういうことの積み重ねの上に、バングラデシュの邦人被害はある。
ダッカ事件「私は日本人だ」の訴えを無にするな(川上泰徳 Newsweek 2016.7.7)

「日本人であること」が安全保障であったのは、日本が中東イスラム社会をかつて一度も攻撃したことが無かったからだ。行くと身をもって解るのだが、中東イスラムの人々は日本人にとてもシンパシーを持っている。

イラク戦争支持とサマワ駐留で変わってきたというが、それでも自衛隊は一人も殺さず、おそらくはそれゆえもあって、殺されもしなかった(邦人人質の殺害はあったが)。小泉首相は自衛隊派遣の前、中東の衛星テレビ局アルジャジーラに出演し、「自衛隊は戦争をするためではなく、復興支援のためにいく」と訴えたとのこと。これは非常に重要なことである。翻って昨年1月、安倍首相はどうだったか。

安倍首相が演説の中で、難民支援について「ISと闘う国々への支援」と勇ましく付け加えたことが、アラブ世界で「ISへの宣戦布告」と位置づけられ、IS に日本人人質2人を「戦争捕虜」とする口実を与えた。

日本は自衛隊を派遣していたわけではない。「有志連合」の末席に連なってはいたが、ことさら「ISと闘う」とぶち上げる必要がどこにあったのか。そもそもこれまで行ってきた支援を今後も行うというだけのもので、「ISと闘う」ためにあらたな支援を行うわけでもない。が、これで日本は晴れて(安倍首相の望み通り)「十字軍」の仲間入りを果たした。

そうではあっても、これからも日本は、日本の平和主義を、「ISではなく、ISに影響される若者たちに向けて」訴えるべきだと、川上氏は説く。

ISが湯川さん、後藤さんにナイフを向けた時のビデオ声明を思い起こせば、ISはまず「日本が戦争を仕掛けてきた」と、自分たちが日本人を敵視する理由を示した。そのような説明をしたのは、ISでさえ、日本人にナイフを向けるにあたって、イスラム教徒やイスラム世界にむけて自分たちの正当性を唱えなければならなかったということである。それはISによるイスラム世界に対する「日本敵視」についての情報戦である。それに対して、日本は日本人が殺害されることの不当性をイスラム世界に向けて訴えることで対抗すべきである。ISを説得するためではなく、ISに影響される若者たちに向けて「暴力の不当性」を訴えるためである。

ISを含むイスラム過激派のテロが厄介なのは、本人たちが殺人をイスラムの教えを実現するための「ジハ―ド(聖戦)」と正当化していることである。イスラムでは殺人は大罪であるが、殺人が罪ではなく、信徒としての義務となるためには、「ジハード」として正当化されなければならない。もし、理屈の上で、殺人が正当化されなければ、聖戦の根拠は崩れ、大罪を犯していることになる。

ISに参加したり、イスラム・テロに関わったりする若者は、狂信的で理屈が通じないと思うかもしれない。しかし、彼らが従うのもまた「イスラム」である。

この努力は必要だと思う。けれどももし自衛隊がどこかの紛争地に出かけて行き、たとえ防衛や事故であっても現地のイスラム教徒を殺害してしまえば、この「安全保障」は一瞬で崩壊する。

自衛隊が派遣されている南スーダンが心配だ。内戦が再燃し、300名近い死者が出ているという。南スーダンにはJICAや国連職員など日本人70名ほどが駐留しており、うち44名が身動きできないでいるとのこと。邦人の出国用に自衛隊機を送ることも決めたらしい。(※JICA手配のチャーター便でケニアに脱出したとのこと。7月14日報)

菅官房長官はこう言っている。

自衛隊の部隊が、現地で国連のPKO=平和維持活動に参加していることについて、「派遣されている自衛隊施設団に連絡を取り、異常がないことを確認している。今回の事案に関しては、自衛隊の活動地域において、わが国のPKO法における武力紛争が発生をしたとは考えておらず、いわゆる参加5原則が崩れたということは考えていない」(NHK)

「武力紛争が発生をしたとは考えておらず」って、空港まで行く安全が確保できないからホテルに留まってる状態がぁ?? 戦闘再燃なんだから、5原則 ①紛争当事者間の停戦合意、は崩れてるじゃん!!! この件はあらためて。

ここではもうひとつ、ダッカのレストラン襲撃事件で、引っかかったことを書いておこう。報道でもTwitterでも見かけた、支援者である日本人を何で殺害するのか、という非難である。そこには、日本の支援は全幅に感謝されて当然だ、というニュアンスがある。そんな日本人を殺害するなんて、不当で理不尽で恩知らずな許しがたい凶行である、というようなものだ。気持ちはわかる。わかるけれど、襲撃犯に日本に対する全幅の感謝はなかった、という事実は事実として受け入れるべきだろう。

「日本人だ、撃つな」が効かなかったのは、ISが日本を「十字軍」の一員と見做しているから、だけだろうか。私たちの援助や支援(や投資)は、全て全幅の感謝を持って受け入れられているのだろうか。

バングラデシュの事情はよく知らない。けれども以前読んだアフリカのことを思い出したのだ。アフリカのどこの国だったかは忘れてしまったが、日本の農業支援で換金作物のピーナツ(大豆だったかな)を作るようになり、その国は外貨を稼げるようにはなった。が同時に、その国固有の農業は失われ、大規模な農業経営で成功した者と、土地を失い都市貧困層になってしまった者とに分断され、新たな問題を抱えるようになってしまった、というような話であった。

援助や支援はその国の経済を底上げするかもしれない。けれども、新たな問題を生んでしまう可能性もあるのだ。そしてその援助は、当然ながら時の政府を通してなされる。反政府勢力にとっては、政府支援者=敵ともなるのだ。というような事は、頭の隅に置いておくべきだと思う。

 

追記
2016.7.12

今日になって同様の指摘をしている記事を二本読んだ。参考まで。

ISは弱体化しているのになぜテロが激化するのか (WEB Ronza 川上泰徳 2016.7.11) 

「イスラム国」という名前と広い支配地域に世界が衝撃を受け、欧米はISを物理的につぶすことに躍起になっている。

しかし、世界でテロが相次いでいるのは、広大な支配地域があるためではなく、世界に対する発信力で、世界のイスラムの若者たちに「ジハード(聖戦)思想」を拡散していることだ。これこそが真の脅威である。

IS支配地域に対しては、世界から3万人以上の若者たちが参戦している。それもISの宣伝力、動員力を示すものだが、ISはイスラム世界の若者たちに広がった「運動」と考えるならば、ISに影響されながら自国に残っている者たちが、その何倍もいることになる。

ISとは支配地位に限定されない、グローバルなジハード運動であり、ダッカ事件は、その脅威を体現しているということである。

IS絡みのテロに対抗して、イラクとシリアにまたがりIS支配地域を攻撃するという軍事優先の有志連合的な発想では、状況が改善するとは思えない。

 

ISISの「血塗られたラマダン」から世界は抜け出せるか(Newsweek 酒井啓子 2016.7.11)

イラクだけでなくシリアでもISは領土を大きく失っており、BBCによれば、ISが制圧する領土面積は最盛期から六割程度に縮小しているという。その劣勢を補うために、戦線を海外に拡大し、各国の「ホームグロウン」テロリストを活性化させているのだ、という見方だ。

こうした見方では、どうもISの核がシリアやイラクにあってそこから堅固なネットワークが世界中に拡散しているかのように捉えられがちだが、果たしてそのような命令系統が明確にあるのかどうか、不明だ。むしろ、「世界の造反有理を求めている人々に「理」と暴力の使い方を提供する集団」としてのISの使い勝手のよさが「功」を奏して、さまざまな国や地域で独自の展開を始めている、といったほうがいいのではないだろうか。

つまりISは、既存の体制、社会に反発して「何か」を成し遂げたい人たちが、その「何か」をそのなかに映し見る、そういう存在なのだろう。

そう考えると、ISの領域が減少していることは決してISの影響力を減退させることを意味しない。むしろISの出現によって自らの「ジハード」が正当化されたと考えた人々が、今後世界各地で独自に、自分たちの判断で行動を起こす可能性は、どこにでもある。

では、ISが入れたジハード正当化のスイッチは、どうやって消せるのだろうか? 領域が減っても攻撃が減らないことを考えれば、それは軍事攻撃でないことは明らかだ。では何をすれば良いのか? その解答は、まだない。

だが、スイッチが入り続ける理由を見つけることは、できる。ホームグロウンが増えるということは、彼らのスイッチが入る原因もまた、地元社会にあるということだ。

7月15日

朝日新聞デジタルで、フロリダ銃乱射事件の犯人像についての記事を読んだ。この事件にも、ダッカのレストラン襲撃事件にも、ロワ氏の指摘する「世代間」の断絶は確かにある。

(@米国)米フロリダ銃乱射事件 なぞ深まる動機、見えぬ人物像(22016.7.14)

7月16日 ニースのトラック大量殺人 これも「テロ」?

日本でもかつて車が凶器に使われたことがあったけれど、何より、一台の車でこれほどの多くの人が殺害されたことに驚いた。これでは銃もいらない、ということになってしまう。そして動機と背景。

思うのだが、これは「テロ」だろうか。

犯人がチュニジア出身であった、というだけでは「テロ」とは呼べない。この大量殺人に、宗教や政治や社会に関してのなんらかの主張はあったのか。あるいは、フロリダのクラブ襲撃と共通するものはあるのか。ISやイスラムということではなくて。

南仏テロ「ローンウルフ型」、単独犯の見方強まる (毎日新聞 2016.7.16)

複数の地元メディアによると、容疑者は2005年にチュニジアからニースに移住。チュニジアに住む容疑者の父はAFP通信に対し、「(同容疑者は)ノイ ローゼで、投薬治療を受けていた。怒りっぽく、目の前にある物を全て壊すなどしていた。信仰心もなく、(イスラム教では禁じられている)酒を飲み、薬物を 使用していた」と話した。

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