ウソの上の日米同盟 — 「みっともない」のは憲法か!?

選挙が終われば改憲に着手と首相自らが公言した。
なのに選挙はまた(まだ)アベノミクスで進め、改憲については争点にしないという。
国の根幹にかかわる大きなテーマなのだから、
議論の筆頭に掲げて選挙に臨むべきではないのか。
それが出来ないということは、それをすれば勝てないと知っているからだろう。
つまり国民が望んでいないことを自分たちは推し進めるのだ、
そのためには手段を選ばず、姑息だろうと卑劣だろうとなりふり構わず、
とにかく選挙に勝つのだ、という確信犯の、これは手口なのだということ。

この手口については先日の投稿に書いたが、その続きである。

憲法について、考えておく

憲法については、確かに再考すべき時を迎えていると思う。安保法制や安全保障、日米同盟に関する議論の中で、これまでの、ある意味宗教に近い「9条死守」や「護憲」ではなく、柔軟で主体的な考察の必要性は感じてきた。

ただし自民党の改憲案はとんでもないシロモノなので、これに対する批判はまず第一に来る。その方向でやられないようにしなきゃいけない。けれども同時に、もう少し視点を先に延ばして、では私たちはこの国をどういう国にして行きたいのか、今のままでいいのか、何かを変えたいのか、このあたりで熟孝する必要はあるんじゃないのか。このような思考や作業を通じてこそ、ようやくこの国は国民主権の民主国家になれる、そんなふうにすら思う。

安倍首相は「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と主張している(朝日/2016.6.8)。押し付けられた、確かにそうだ。だが、半世紀以上もそのもとに国民が平和に栄えて生き、大事にしてきた理念である。それを「みっともない」と呼ぶのは、この間の日本の歩みそのものを「みっともない」とするに等しい。

これを承知で「みっともない」というのであれば、当然出てくる問いがある。では、「押し付けられた」「みっともない」ものは憲法だけだろうか、ということだ。

憲法は、自衛隊(警察予備隊)の創設と日米安全保障条約締結によって、9条との間に矛盾、捻じれ、歪みを持つものになってしまった。

歴代政府は、この捻じれに正面から向き合うのではなく、様々な解釈でやり過ごしてきた。たとえ苦しい言い訳やこじつけであっても、国民もそれを受け入れてきた。もし自衛隊や駐留米軍が9条違反であるのなら、改憲か軍備なしかいずれかを選ぶしかない。9条も自衛隊も米軍も必要だ、というのが、政府と国民のぶっちゃけた共通認識であったのだ。

これを東浩紀は先日のラジオ番組で「解釈護憲」と呼んでいた。安倍政権は集団的自衛権を憲法違反との指摘をものともせず法制化し、捻じれをさらに大きくしてしまったが、憲法の「解釈」という意味では、「護憲」も確かに同じである。

この日本憲法の「解釈」運用は、単なる建前と本音といったものでもなく、日本政府(とアメリカ)の政治手法としてのダブルスタンダードというだけのものでもない。リベラルだろうと右派だろうと、「解釈」しながらでしか国家運営できなかったのだ、ということの奇妙さにあらためて愕然とする。

憲法について考えるということは、憲法を捉え直すだけではいけないということだ。なぜ、私たちは「解釈」をしなければいけないのか。何がそれを強いているのか。圧力が何であるかはおぼろげには知っている。では何故、それらに対する言及が(公に)(ほとんど)ないのか。

憲法の上にあるもの

安保法制の審議の中で、集団的自衛権は違憲だと多くの憲法学者が指摘した。いや合憲だ、という根拠に、安倍首相は「砂川判決」を持ち出した。それが妥当かどうかということとは別に、これを機に判決文を読んで、ある認識が一層クリアになった。それは、日本という国は、憲法を最高法規とした近代立憲主義の法治国家ではなく、憲法の上に、かつての占領軍との間に取り交わされた安保条約がでんと乗っている国だ、ということである。

1957年7月、立川基地の拡張に反対するデモ隊が基地内に入り、7人が起訴された。東京地裁では、米軍は9条違反の「戦力の保持」であるとして、無罪判決(59年3月30日)が出た。その後裁判は何故か一気に最高裁に送られ、以下のような趣旨で米軍の違憲/合憲の判断を避け、原判決の破棄差し戻しが言い渡された(同年12月16日)。安保改定をはさんだ61年3月21日、差し戻し裁判で有罪判決が確定となった。

安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。
最高裁判例/砂川判決から

日本には憲法裁判所が無い(改憲で最初に着手すべきは憲法裁判所の創設なのでは)。違憲を問うにはこのような事件が起き、当事者が憲法違反だと訴えて初めて法の審議が始まる。なのに最高裁が、違憲の法的判断が出来ない、と言っているのだ。「安保条約の如き」場合には。

この部分を読んでごくごく単純に「はあ?」と思った。「主権国として」とあるけれど、これじゃ主権国じゃないじゃん。だって、「国の存立の基礎に重大な関係を持つ」判断が最高裁に出来ないってんだから。「それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り」って何だよ。ここの部分が言っているのは、「それが一見極めて明白に違憲無効であると認めたくないものに限り」ってことだよね。

で、その「違憲無効であると認めたくない」何ものかの思惑や指示が憲法の上に来る。主語は、この文脈で言えば「安保条約」であり、条約の当事者国であるアメリカとなる。

裁判の経緯を見て違和感を覚えるのは、地裁からいきなり最高裁に上告されたことだ。これを「跳躍上告」というらしい。そして最高裁判決までの短さ。裏に何があったのかは、今では明らかになっている。

判決は、外務大臣や最高裁長官田中耕太郎と在日米大使、及び米国務省の間に交わされた密約に基づくものであった。跳躍上告も米側の要請であり、田中長官は早期判決を約している。これらは米国立公文書館で秘密指定解除された公電に記されていた(2008年と2013年に「発見」された)。
砂川事件「伊達判決」に関する米政府解禁文書(原文と翻訳)
(PDF 要ダウンロード/山梨学院リポジトリ)
砂川事件「伊達判決」と田中耕太郎最高裁長官関連資料 : 米国務省最新開示公文書(2013.1.16開示)の翻訳と解説(PDF/Cinii 論文)

60年の安保改定時、岸信介首相は少しでも条約を対等なものにしたいと努力した。結果、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」と、条約名に「相互協力」という文字は入った。だがその「相互協力」の内実は、上記のようなものなのだ。つまり、アメリカが不利益を被らないよう(情報遺漏や密約という)「相互協力」が行われるが、それは日本国憲法の枠外のことである、と。

安倍さんに訊いてみたい。ここで 「みっともない」のは憲法だろうか。「日本人がつくったんじゃない」という主体、主権の不在が「みっともない」のなら、はるかにみっともないのはこのような「相互協力」同盟ではないのか。その同盟の下、法や政治のトップが国の最高法規を無視してまで同盟相手国に従う、しかもそれは情報遺漏や密約という形でしか、つまり国民を欺くことなしには実行できない、そのような国の在り様のことではないのか。

上記二回にわたって掘り起こされた日米のやり取りで、いかにアメリカが裁判を重要視していたかが分かる。これにより、在日米軍基地を日本に置き続けることが難しくなるか、あるいは「正当性」が担保されるのか、別れるからである。

そしてこの判決によって、その後の日本の歩む道筋にも、大きな枠が架せられてしまった。

改憲の前に改変すべきは日米地位協定じゃないのか…

沖縄でまた米軍関係者の女性殺害遺棄事件が起きた。基地があるからこのような事件が尽きないのだと、沖縄の人たちの怒りは激しい。19日には6万5千人の追悼県民大会が開かれ、在沖海兵隊の撤退、県内移設によらない米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去、遺族らへの謝罪や補償、そして日米地位協定の抜本的改定を求める決議が採択された。

被害女性の父親は全基地撤去のメッセージを寄せた。皆「全基地撤去」を声高に叫びたいであろう。これまでのように。なのに沖縄県民はこれを決議に入れなかった。

沖縄の人たちが言っているのは、本土も我がこととして米軍基地と日米同盟について考えろ!ということだ。いつまでもヒトゴトみたいに沖縄に押し付けて安泰で(平気で)いられると思うなよ、ということだ。そのうえで、まずは日米地位協定を何とかしろよ、と言っているのだ。

本当にその通りで、米軍であっても日本で犯罪を犯したら日本の法で日本人と同じように裁かれるべきだというのは、主権国家の当然の主張である。が本土では、この当然の主張すら未だ意志一致に至っていない。
<社説>米大使館課長発言 日米地位協定は機能不全だ(琉球新報 6/12)
沖縄の軍人・軍属は日米地位協定で守られる(朝日新聞 WebRonza 06/13)

安保条約は改定されたが、条約の細目を定めた日米地位協定は、旧安保付帯の日米行政協定の内容がそのまま引き継がれてしまった。反安保闘争もあり、国会審議が十分行われなかったためだという。以来一度も改定されていない。
日米地位協定の改定を求めて – 日本弁護士連合会(2014.10 PDF)

前泊博盛氏は『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』のなかで、この地位協定を「アメリカが占領期と同じように日本に軍隊を配備し続け」、「日本における、米軍の強大な権益」を保持し続ける「取り決め」だと言う。安保条約及び地域協定の目的は、即ち、「日本全土を米軍の『潜在的基地』(ポテンシャルベース)とすること」(太字は著者による。下線は著書では傍点)。そう、日本本土も、実は(潜在的)「沖縄」なのだ。

問題点は次の5つ。

① 米軍や米兵が優位にあつかわれる「法のもとの不平等」
② 環境保護規定がなく、いくら有害物質をたれ流しても罰せられない協定の不備など「法の空白」
③ 米軍の勝手な運用を可能にする「恣意的な運用」
④ 協定で決められていることも守られない「免許特権」
⑤ 米軍には日本の法律が適用されない「治外法権」

このように、「戦後日本」の最も重要な基礎であるべきサンフランシスコ講和条約に正文がなかったこと(英語、フランス語、スペイン語などの正文はあったが、日本語文はなかった)。そしてその講和条約に入れられないほどひどい条文は、国民の目に触れない形で安保条約に入れられ、さらにその安保条約にも入れられないほど売国的な条文は、講和条約の調印から半年後に作られた日米行政協定のほうに押し込まれてしまったこと。戦後日本の国際社会への復帰は、そうした何重もの隠蔽の上に行われたものだったのです。

ちなみに、同じく敗戦国だったイタリアとドイツにもNATOとの間に地位協定があるが、こちらは改定され、米軍は国内法の適用下に置かれるようになっている。イタリアの米軍基地は伊軍基地内に置かれ、指揮も伊軍下に入る。NATOとの関係や軍の存在など日本とは単純には比較出来ないけれど、だからといって日米地位協定の不平等性が正当化されるわけではない。

日米合同委員会という委員会がある。米軍トップと外務省などの官僚エリートらが、地位協定運用のために定期的に会議を行っているのだ。不平等な日米地位協定の運用に当たっては、国民感情を配慮して国内法とのすり合わせや、広報戦略も必要となる。議事録は非公開である。
VIDEO NEWS 日米合同委員会は米軍の超法規性を話し合う場
米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在

基本的に軍事関係の取り決めなので米軍側は、情報を出したくない。また、米軍に有利に推移した合意内容を表に出して、日本人の神経を逆なでしたくないという思いもある。日本側としても、米国との交渉に負けた、との誹りを避けるために、できるだけ隠密に事を収めたい。

必然的に日米合同委は「密約の温床」になってしまう。

米軍は本当に日本を守ってくれるのか?

先の VIDEONEWS 孫崎氏インタビュー引用の冒頭に、大事なことが言及されている。私たちは、米軍は日本の防衛のために駐留してくれているのだと思っている。が、それは違う、というのだ(その「美しい」誤解の温存のためにも日米合同委員会はある)。

安倍首相は力説してきた。米軍は日本のために血を流してくれるのに、日本はそれが出来ない、そんな「片務的」な同盟を「双務的」なものに変え、より強固にする必要があるのだと。

米大統領候補の Mrトランプも、駐留米軍は日本を守るために置いているんだから、経費は全額日本が負担すべきだと演説した。これを聞いた時は「チャンス!」と思った。もしトランプが大統領になった暁には、米軍には「思いやり予算」(駐留費用のほぼ半額くらい? 2016年~20年は計9456億円で合意済み)を超える分はお引き取りいただき、残った全ての戦力を日本防衛に当てていただこう。もちろん、地位協定は憲法や国内法にてらして改定する。というか、そうなったら地位協定は要らないよね。米軍は日本がやとった傭兵ということになるわけだから。

などと突っ込んでいては話がそれてしまうが、問題は本当に日米同盟が「片務的」であり、これを「双務的」にすることによって、米軍の日本防衛や抑止力は高まるのか、ということだ。

日米防衛協力のための指針(ガイドライン)というものがある。「日本が他国に攻撃されたときなどの自衛隊と米軍の具体的な役割分担を決める政策文書」(朝日新聞キーワード)である。

これが昨年の4月27日に改定された。その直前の日米首脳会談の際、オバマ大統領は会見で、「日本の施政下にある領土は、尖閣諸島も含め日米安全保障の適用対象になる」と発言した。これで言質を取ったとばかりに、首相は安保法制の審議を一気に進めたわけだ(米議会で約束もしたし)。

が、オバマ発言はこれまでの米見解を踏襲しただけで、安保条約第三条の「憲法上の規定に従うことを条件として」、即ち米議会の承認が無ければ米軍は動けない、というエクスキューズが変わりなくある以上、「絶対に米軍は日本を助ける」と保障したわけではない。また、下に見るように防衛の第一義的役割を担うのが自衛隊である以上、米軍が出てくる前に日本が負けて「施政下」でなくなってしまえば、その時点で日米安全保障の適用対象とはならなくなる。

ガイドラインの注目点は二つ。(安保法制に先立って)自衛隊が(米軍の下部組織として)、「グローバルに」地球上のどこでも(切れ目なく)活動できるように取り決められたこと。二点目は、日本の防衛や尖閣諸島をめぐっての領土問題に関しては、なんとか集団的自衛権行使を明確に約束してほしい日本の切望とは裏腹に、そんな争いに巻き込まれたくないアメリカの本音がしっかりと書きこまれていること。

特に二点目について、実際のガイドラインの記述を見てみよう。

(日本に対する武力攻撃が発生した場合の基本的考え方として)
日本は、日本の国民及び領域の防衛を引き続き主体的に実施し、日本に対する武力攻撃を極力早期に排除するため直ちに行動する。(略)米国は、日本と緊密に調整し、適切な支援を行う。米軍は、日本を防衛するため、自衛隊を支援し及び補完する
— 日米防衛協力のための指針(2015.4.27/防衛省)

ガイドライン全体を通して目につく言い回しは、あらゆるところに散りばめられた「適切な」及び「適切な場合」という限定語であるが、ここにもしっかりと置かれている。これを読む限り、日本の防衛の主体はあくまで日本(の自衛隊)であり、米軍は支援と補完を(アメリカが)適切と判断した場合に限って行う、としかとれない。

続いてガイドラインには空域、弾道ミサイル攻撃、海域、陸上攻撃、加えてこれらに領域横断的に対処するための作戦についての記述があるが、領域横断以外はほぼ共通した言葉で書かれている。即ち、自衛隊は「主体的に」防衛に当たり、「米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する」。

領域横断に関しては若干言い回しが異なり、「米軍は、自衛隊を支援し及び保管するために、打撃力の使用を伴う作戦を実施することができる」とある。

仮面の日米同盟 米外交機密文書が明かす真実 (文春新書) で春名幹男氏はこの「できる」に注目した。なぜ「実施する」ではないのか。

ガイドラインは英文で調印され、それを外務省が和訳する。春名氏が原文に当たったところ、この「できる」は can ではなく、may が使われていた。中学生でも意味の違いはわかる。他にも対訳の日本語が意訳というか違訳されている箇所が複数あった。

「共同作戦」と訳されている語は通常用いられる joint operations ではなく bilateral oparations (二国あるいは両国作戦)だし、(自衛隊が)「主体的に実施する」は primary responsibility、つまり正確には「第一次的な責任」が正しい訳だ。「補完的」との訳された語は supplement、補足する、追加するという方が自然だ。

実は改定前のガイドラインでは、「共同作戦」は joint conduct operations となっていた。さらに前回の改定前、1978年のガイドラインでは「日本防衛への米軍の貢献がより大きく明記されていた」という。つまり二回の改定により、条文では米軍の関与を一段と弱め、逆に自衛隊の役割を強めた語が用いられるようになった。アメリカは(安保法制で安倍政権が踏み込んだ分)むしろ日本防衛の公約を後退させているのだ。が、これらの改定の意味内容は和約に反映されていない。

安倍が発言しているように、日本を防衛するために、「アメリカの若者が血を流し」たり、「命をかけ」たりするほどの関与を米国側が約束した事実など、新ガイドラインのどこを読んでも存在しない。日本が攻撃を受けた場合、真っ先に血を流す可能性が大きいのは、日本防衛に「主たる責任」を負う自衛隊員のほうだ。

米軍はそれを「支援」するだけだ。その「支援」も具体性を欠いている。米国が入手した偵察衛星や無線傍受のインテリジェンスを日本側に提供するのも支援だし、自衛隊の防衛作戦を援護射撃するのも支援に入る。ガイドラインを策定する日米交渉で、アメリカ側が支援の中身を明確にすることをあえて嫌った可能性も十分あり得る。

「片務性」について。

(60年安保改定当時の外務省アメリカ局安全保障課長東郷文彦氏は)「条約上の権利義務の均衡は、実質的には米国の日本援助義務と米軍の日本の施設区域使用に求められるべく、両々相俟って双方の利益に合致することとなる」
と報告書に記している。

米国による日本援助(防衛)義務と日本による在日米軍基地の提供、という形で権利と義務が均衡して、双方の利益となる。・・・しかも、その考え方はそもそも米側が提案したものだった。(これは安保条約第5条と第6条に記載されており)これで「双務性」は成立している。

基地の提供は決して軽微な義務ではない。特に在日米軍基地の四分の三が集中する沖縄の基地負担は非常に重い。そもそも世界の外交舞台で、自国が負う義務を軽いと公言する外交官などいない。日本側が自らの義務を軽いと認識してくれることは、アメリカ側にとっては外交上非常に好都合である。

日本全土が「潜在的基地」なのだと言うとき、その目的が日本の防衛でないことは明らかだ。この事を証する文書は春名氏自ら、2007年に米国立公文書館で「発見」した。1971年の国務次官が国務長官に代わってニクソン大統領に提出したメモがそれだ。

”在日米軍は日本本土を防衛するために日本に駐留しているわけではなく(それは日本自身の責任である)、韓国、台湾、および東南アジアの戦略的防衛のために駐留している。・・・在日及び在沖縄米軍基地はほとんどすべてが米軍の兵站の目的のためにあり、戦略的な広い意味においてのみ日本防衛に努める。”

このメモの続き部分には、上記アメリカの真の目的は日本に公表できない。なぜなら日本国民は米軍駐留の目的が日本を守るためではなく、他の地域への「安全戦略」であると知れば、アメリカの「戦争に巻き込まれる」と恐れて米軍の駐留に拒否反応を示すだろうから、という趣旨のことが書かれている。

米軍の「戦略的防衛」の範囲とされる国にはその後、ベトナムやアフガニスタン、イラクと言った国々が浮上し、日本はどの戦争においても粛々と「兵站」を担ったのである。

日本の憲法は、9条は、どこまで機能してきたのだろう。9条のおかげで70年間日本は戦争をしないできた、と言うのは正しくない。9条があっても核は持ち込まれ、アメリカの「兵站」基地としての役割を期待通りに果たしてきた。実態は、「戦争をしな」かったのではなく、韓国のようにはアメリカの戦争に参加せず(自衛隊が殺さず、殺されずに)しのいできた、というだけのことであった。

アメリカもアジアも国連(=連合国)も、日本の再軍備を望まなかった。在日米軍は、日本の再軍備を阻む「瓶のふた」であるという理屈で、駐留が認められてきた。アメリカも日本もアジアも連合国も、みなこれが一番マシな選択肢で、みなこれが己の利益が最大限に得られるかたちなのだと、おそらくは考えてきた。

このかたちを、日本はこのあとも同じように続けていけるのだろうか。次第に無理がたたってきているのではないか。それとは別に、経済的繁栄をかたに従属の道を歩んでは来たが、従属する相手の懐具合や政策や世界情勢が変わってきて、それに合わせてこちらが「解釈」を重ねていっても、これまでのような国益は得られないかもしれない、ということもある。

何より大きいのは、これが単なる依存や従属ではなく、二重三重にねじ曲げられたり、隠されたり、「美しい誤解」をそのまま利用されたり、といった綱渡り的かついびつな、うそっぱちな関係の上に築かれてきたことだ。このことが、この国の在り様だけでなく、国民の内面の在り様もまたスポイルしてきたと、思えてならない。

沖縄への核持ち込みが暴かれても、砂川判決の密約が明るみに出ても、どこかで私たちは「そんなこともあるだろう」と思っている。「解釈」、つまりごまかしと隠ぺいは織り込み済みなのだ。日米合同委員会という「解釈」機関でエリート官僚が行っていることを、私たちの内面もたどっている。

【参考】

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(外務省)
日米地位協定全文(東京大学東洋文化研究所)
全文公開:機密文書「地位協定の考え方」(環境総合研究所)
日米防衛協力のための指針(2015.4.27)(防衛省)

日本人の「植民地主義」と沖縄・米軍基地問題の深層 (WebRonza 6/9~連載中)
ドイツ・韓国と比べた日米地位協定と基地費用負担の問題点と改定点-在日米軍に苦しめられる沖縄県民
日米防衛指針18年ぶりに改定 新ガイドラインの骨子は? (ハフィントン・ポスト 2015.4.28)
砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」2008年5月26日
砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか 2013年4月15日
元海兵隊員による「リナさん殺害事件」を悼む「密約法体系」がある限り、悲劇は何度でもくり返される(WebRonza 6/23)

『仮面の日米同盟 米外交機密文書が明かす真実』春名幹男 (文春新書)
『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛 
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治
『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』矢部宏治
『戦後史の正体 』孫崎享(「戦後再発見」双書)

荒川強啓デイキャッチ 小林よしのり×東 浩紀×宮台真司「憲法改正」プラス2016.06.17

【付記】
地位協定の改定はそう簡単ではない。むしろ安保条約を一旦破棄し(改定後10年すれば破棄できると条約そのものにあるので)、新たな安保条約を結ぶところから始めるほうが得策だ、という意見もある。

【付記 2/2016.7.1】

日米同盟の内実は東西冷戦の緊張や終結といった世界情勢の変化により変質してきた。ガイドライン見直し等を行う日米安保協議委員会(通称2+2)では、2015年のガイドライン改定以前にも重要な条約が策定されている。

2005年10月の「未来のための変革と再編」では、すでに自衛隊の役割が、国防とアメリカの世界戦略の両方向で拡大されている。国防について。

日本は、弾道ミサイル攻撃やゲリラ、特殊部隊による攻撃、島嶼部への侵略といった、新たな脅威や多様な事態への対処を含めて、自らを防衛し、周辺事態に対応する。

ここでは「自らを防衛」するとして、「島嶼部への侵略」だけが具体的事例としてあげられている。前年の2004年、台湾人活動家が尖閣諸島に上陸し、逮捕、国外追放となる事件を受けてのものだろう。アメリカの危惧と、やはりエクスキューズが埋め込まれている。

【参考2】
日米同盟や日米安保条約運営に関する協議にどのようなものがあるか。

nichibei

東アジアの不協和音をよそに、着々と進む日米協議の枠組み整備 nippon.com

【付記3/2016.7.2】

オバマ大統領はスピーチで、尖閣諸島は安保条約第の対象であるということ以外にも、重要なことを述べていた。
オバマ大統領の尖閣諸島に関する発言(キャノングローバル戦略研究所 2015.5.8)

オバマ大統領は、尖閣諸島に関する中国との紛争を解決するよう安倍総理に積極的な対応を促していたからである。それも非常に強い言葉で促していた。また、「尖閣諸島の最終的な主権の帰属について米国としての見解を表明するのでない」とも述べていた。オバマ大統領の発言は全体を見なければ真意を理解できない。

オバマ大統領が安倍総理に対して対応を促した発言は、「私は安倍総理に直接言ったのだが、日中間で対話や信頼関係を築くことをせずに、事態がエスカ レートするのを見続けることは重大な誤りである」であった。

この言葉(「重大な誤り」の原語は a profound mistake)は、文法的には仮定形で表現された文章の中の一句であり、この言葉を以てオバマ大統領が安倍総理をストレートに批判したとは言えないが、 批判すれすれの表現であったことは間違いない。外交的には、敵対している関係ならともかく、同盟国間ではまず使われない重い言葉であり、米国は日本の立場を理解・支持しつつも、日本が尖閣諸島に関して中国と対話する必要はないと突っぱねていることに不満であることを示していた。

日本国民はこのことを知る必要がある。

オバマ大統領は日本の対応を強く促した後、平和的解決のためには何でも協力すると言っている。

上記コラムは、a profound mistake という言葉の強さを正しく報道した大手メディアがなかったことも指摘している。

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