読まれなかった「お手紙」

山本太郎の手紙の件でもう少し。
昨日の記者会見時、ユーストリーム動画横のコメントに、
今回の騒ぎで初めて天皇について考えた、というのがあった。
そうだろうなあ、と思う。
たぶん女性週刊誌の皇室ウォッチャーだって、
天皇についてや天皇制について、
きちんと考えたりはしていなかっただろう。

そのあと岩上安見のインタビューをうけて、
山本太郎はこんなことを言っている。
たまにファンレターに自分のことばかり書いてくる人がいるが、
自分の行為もそういものだったかもしれない、と。

ファンレターを引き合いに出されて、妙に納得してしまった。
彼は一貫して「お手紙」と言い続けている。
請願でも直訴でもないのだ。

その手紙は天皇に読まれたのか。
山本太郎氏の手紙は天皇陛下に届かず 「ふさわしくない行為」宮内庁が批判
(JCAST ニュース 11/06)

山本次長は「園遊会は、各界で活躍された方や功績をあげた方を招いて苦労などを労われる場所」とした上で、「議員が手紙を差し出すのは場にふさわしくない。常識的に判断されるべき問題」と述べた。手紙については事務方で預かり、天皇陛下には届けていないという。

タイトルだけ見ると、宮内庁は積極的に渡さない方針なのかと取れる。
が、記事を読むと「届けていない」。
「ふさわしくない」のも、行為ではなく、
手紙を渡す場所がふさわしくない、と言っているだけ。
批判というほどきつい言い方ではないように思う。

ツイートでは、宮内庁の強権批判と、天皇には人権がないのか、
というような極端な反応も出ているけれど。

これはおそらく、天皇が読んだとなると、
では読まれての反応はどうだったのか、という問いが出てくるので、
それを避けたのだろう。
天皇や天皇制についての論議が高まるのを押さえるためにも、
スルーしたいのだ。
国会の対応にも同様の意向があるだろう。

岩上氏は、今回の「お手紙」は右からは不敬罪とたたかれ、
左からも支持がなかったと指摘していた。
天皇制擁護になるからだそうだ。
天皇制、ねえ…。
昔ながらの教条的な天皇制批判が、今通るのかなあ…。

先日の天安門に車が突っ込んだ事件で、
テレビ画面で天安門が何度も映し出された。
目についたのは、大きな毛沢東の看板だった。
2011年のシリアでは、いたるところで、
バッシャール・アサド大統領の写真を見かけた。
ヨルダン国境で迎えてくれたのは、アブドゥッラー国王の看板写真だった。
そういえば戦時中は日本の家庭にもマツラレてたんだよね、天皇の写真。

でも今の日本に、天皇の写真があんなふうに掲げられていたら、
とっても気持ちが悪いだろう。
私たちはこの感覚と、あの天皇の存在を、
どう折り合いをつけて受け入れているのだろう。
なんだかこの折り合いのつけ方がとってもあいまいで、
そのあいまいさがものすごく日本的な気がする。

日本人の天皇や皇室に対する受け入れ方には、独特のものがある。
女性週刊誌では雅子妃のことが下世話なネタにされているのに、
天皇制のことになると、とたんに一種のタブー感が漂う。

象徴天皇制は憲法と同じでアメリカの思惑によるものだし、
その思惑は見事に功を奏しているように見えるけれど、
憲法にくらべたら驚くほど言及されない。

この騒動は海外でも取り上げられた、とツイッターに流れていた。
が、その内容は、なんで手紙が問題なんだ ? というものだという。
これも、そうだろうなあ、と思った。
王室も法王も、世界の傾向は親しみやすさや庶民性に向かっている。
国民や信徒とのコミュケートはことさら重視されている。
オープンで、シンパシー溢れる存在であることを求められている。
手紙を渡すことのどこがいけないのか、
理屈の上からも感覚的にも理解されないだろう
(ついでに言えば、それを読ませない、ということも)。

インタビューで岩上安身は、
僕たちには請願権というものがあることを再確認した、
これから正規ルートで請願したらいいのではないか、
というようなことを言っていた。
同時に、天皇って何なんだろう ?
というのを考えるきっかけにもなったわけで、
宮内庁や自民党の思惑なんか無視して、
これを機会に皆考えたり、しゃべったり(ファンレター書いたり)
したらいいんじゃないかと思う。
憲法についてだけじゃなくてさ。

 

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