◆路上にて
カイロは大都市である。
アムロ君によると人口2000万人。
全8000万人を越すエジプト人の四分の一が住んでいる。
この数は、近郊も入れて、ということだとあとで調べてわかった。
それでも中心部にほぼ東京と同じくらいの人が住んでいるわけで、
よくぞまあと、帰ってきた今も思う。
なにがすごいといって車の数だ。
その車が、ひっきりなしにクラクションを鳴らす。
ホテルをタハリール広場近くにしなくて正解だった。
なぜクラクションを鳴らしっぱなしかといえば、
これだけの都市、これだけの車に、
信号がないからだ(交通整理の警官はいる)。
6日間あちこちを動き回って、私が見た信号はたったひとつ。
あ、信号だ、と珍しいものを見た気がして近づいた。
が、この信号、点灯していたのは信号機ではなく、
その下の88の文字盤のみ(どういう意味なのかは不明)。
おまけに車線がない(あっても誰も意味がわからない。 by アムロ)。
クラクションを鳴らしながら割り込むんだけれど、
横にだけでなく、縦にも割り込む。
割り込まれた側もクラクションで答える。
これじゃあ道路を横断するのは自殺行為だと、確かに思う。
街歩きツアーの際、アムロ君は開口一番、
危険だから道路は渡ってはいけない、と宣告した。
ところがカイロっ子は、平気でこの道路を渡る。
黒いチャドルの婦人が、子供の手を引いて、
大きな荷物をかかえて、悠然と道路を渡っていく。
カイロの道路は、かなり広い道路でも、車専用ではない。
車以外で目につくのは、オートバイより荷車を引いたロバ、
お菓子売りの台車を押している若者、
頭に大きなパンのかごを載せた若者。
一番感動したのはお茶売りだった。
丸いお盆に、シャイの入った小さなグラスをいくつか並べ、
車道の真ん中に立ち、正面から車を向かえてシャイを売る。
走っている車がスピードを緩めると、さっと運転席に回り、グラスを渡す。
あってもなくても同じなのは、信号、車線、横断歩道に加えて、歩道も同じだ。
ホテル周辺のこと。
スーパーやお店探し、地下鉄駅までの行き返り、
歩道があるのに、皆が皆、車道をぞろぞろ歩く。
クラクションを鳴らされながら、駐停車した車をよけながら、
あたりまえのように車道を歩く。
実際に歩道を歩いてみると、理由はすぐにわかる。
歩道とは人が歩くためのところではなく、
茶店の店内と化していたり、
店の商品陳列台であったり、作業場所だったりするのだ。
私設駐車場となっているところもある。
あるいは、いきなり歩道が陥没してなくなっていたり。
(もちろん、店を開く人も)
歩道を歩こうとすると、これらをいちいち車道によけたのち、
また歩道に戻るとうことを繰り返すことになる。
まことに歩きにくい。
すぐに私も、最初から最後まで車道を歩くようになった。
そして気がつくと、平気で車道を横断していた。
こつはナポリの道路と同じなので、しばらくするうちに感覚が戻ったのだ。
つまり、走っている車とコミュニケートすること。
渡るよ、というこちらの意思を全身で発信し、
車が、わかったよ、と答えてくれるサインを読む。
彼らはもしかしたら、一斉に鳴らしあうクラクションでも、
同じようにコミニュケートしあっているのかもしれない。
◆地下鉄にて
地下鉄は旅行者に利用し易い交通機関だ。
それでも最初は、方向を間違ったら大変と、けっこう緊張した。
標識をじっくりと読み、加えて数人に尋ねさえした。
そうして目の前の車両に乗ったら、車内がなんだか変だった。
一瞬ののち、私以外の全員が男性だということに気付いた。
そういえばアムロ君が、女性車両に乗るといいですよ、と言ってたっけ。
エジプトでは(外国人に対してだけではなく)痴漢やセクハラが多い、
というガイドブックの記述も思い出した。
それほど混んでいないせいか、どうということもなかったけれど、
それでもたったの二駅間が、落ち着かなかった。
女性専用車両は真ん中あたり、ホームの停まる位置に、
女性トイレと同じマークと共にLadiesと、標識が掲げられている。
それからは専用車両に乗った。
イスラム圏を旅行して寂しいのは、
なかなか女性と触れ合う機会がないことだ。
それがいきなり女性だらけ。
こころなしか、みなリラックスしているように見える。
ベールを被っている割合を観察してみた。
スカーフで髪だけを覆っている女性も含めると、
私が座ってる8人がけの座席では、私以外の全員がベール姿。
向かいの座席はベールなしが二人、ありが6人。
うち一人が全身茶色の姿だった。
彼女は、目の部分だけスリットが入ったニカブで顔も隠すのみならず、
なんと手袋までしていて、一切の肌が見えないのだった。
ベールには慣れてきていたけれど、
この顔まで覆い隠すニカブには、まだ気持ちが少しざわつく。
女性差別だという欧米単純思考は脇に置いても、
自分と相手との対等性が、損なわれているような気がするのだ。
つまり、相手は私の姿かたちや肌の色、表情を観察し、
なにがしかの情報を得ることができるのに、
私にはそれができないという不公平さ。
断固とした拒絶的な色の質量だけがそこにあることの、居心地の悪さ。
その上で私は、自分がこのように全身を覆ったら、
どのような気持ちになるだろうと、想像してみた。
個人の属性を覆い隠して人の前に立つのは、
どんな気持ちがするものであろう。
日本人女性で、イスラムに入信し、最初はベールだけだったのが、
次第に肌の露出度を減らすようになり、
最後はニカブ姿にまでになった人のブログを読んだ。
彼女の選択に他者からの強要は一切ない。
彼女は、かぶってみたら落ち着くのだ、と言う。
人の(男性の)視線も気にならなくなったし、
なにより、イスラムの教えを守っているという安らぎがある。
あくまで個人の信仰の問題なのだと。
コミュニケーションの回路を、自分と他者との間にではなく、
自分と神との間に向けて開く行為、と考えていいのだろうか。
もうひうとつ、都市のすぐそばまで砂漠が迫っているエジプトでは、
ときに空気が砂っぽい。
まして砂漠地帯にいると、髪の毛が潮を含んだようにじっとりと重くなるし、
ポケットも砂でじゃりじゃりしてくる。
この気候に、ベールや全身をすっぽりと覆う衣服は理に叶っている。
選択の理由が、神との回路と風土による習慣だけであったなら、
どんなにすっきりすることだろう。
夕方、タハリール広場のあるサーダートで乗り換えると、
それまでひっきりなしにやってきては発車していた列車が、
乗り込んだあともなかなか動かなかった。
女性車両の混雑はすさまじく、私は奥へ奥へと押し込まれた。
通勤通学の帰宅時間と重なったらしく、学生風の若い女性が多い。
ぎゅうぎゅうにくっつきあって、やれやれと、
ヌビア系(南部出身で肌の色が濃い)の、
素晴らしくかわいい女子学生と目で笑いあう。
教科書を抱えたメガネの女性は、私の耳元で、英語で、
バッグに気をつけたほうがいいよ、とささやいた。
突然、少し離れたところで口論が始まった。
しばらく大声でののしりあったのち、
ついに片方が相手の肩を突き飛ばした。
それまで黙って見守っていた周囲の女性たちが、
まあまあととりなし、ふんっ、とお互いがそっぽを向いた頃、
ようやく列車は走り出した。
降りるのがまた一仕事だった。
降りる駅ではドア近くにいないと、あっという間にドアが閉まり、
降りられないからだ。
次で降りるんだよ、ドッキ、私降りる、と叫ぶと、
皆が自分の体を引いたり、私の体を押してくれたりして、
ようやくドアの前にたどり着いた。
降りて、ほっとして、列車を見送った。
彼女たちの髪を覆うスカーフやベールは色とりどりで、様々な模様入りで、
見事に洋服とコーディネイトされていた。
いきのいい女子学生たちだった。
◆イスラム寺院にて
今回、何箇所かモスク(エジプトではガーマと言う)に入った。
教会と同じように、モスクも年代によって様式が違う。
モスクに絶対はずせないのは、ミフラーブと呼ばれるくぼみである。
が、教会の祭壇のような集中性を持たない。
広いモスクで、三箇所のミフラーブがあるところもあった。
これは、メッカの方向に向けてけてお祈りをするための目印に過ぎない。
とはいえ、時代により装飾が異なり、
アラベスクの幾何学模様のあしらいが、いずれもとても美しい。
その他共通するものは、このミフラーブの右隣にある階段。
これは説教壇で、この階段の装飾も見事だ。
ミフラーブと説教壇のある側を一面として、四角に回廊がめぐる。
回廊は何本もの柱がリズミカルに並び、絨毯が敷きつめられ、
ひんやりとした日陰をつくっている。
回廊に囲まれている、かなり広い中庭(広場)の真ん中に、
お祈りの前に身を清める東屋のような水場がある。
これもまた美しく装飾されている。
大きなドームを戴いたモスクでは、回廊や広場ではなく、
高く、いくつかの丸みを連ねた屋根に覆われた聖堂が、祈りの場所だ。
この全てを、靴を脱いで歩く。
中心性を持たない、一切の具象を排した、
眠気を誘うような複雑な繰り返し模様で装飾された寺院は、
キリスト教教会のような荘厳さではなく、
むしろ軽やかな静けさに満ちている。
回廊の柱にもたれて、コーランを、あるいは新聞を読む男がいる。
ミフラーブの傍らで、車座になって、
なにやら小声で語り合う若者たち。
説教壇の影には、体を伸ばして眠りこける男。
スタッフ?(なんと呼べばいいのだろう)の昼食用なのか、
たくさんのアエーシ(平パン)が、回廊の絨毯にじかに、
焼き立てを冷ますかのように並べられている。
中庭の、日差しに白く輝く大理石の床を、スカーフ姿の若い女性が、
素足をすべらかに、ゆっくりと、横切っていく。
金曜礼拝以外のモスクはどこも人がまばらで、
街路の熱気や喧騒とは無縁の世界だった。
回廊やドームの外に、もうひとつはずせないものが建つ。
ミナレットと呼ばれる尖塔である。
渦巻状に階段がついていたり、びっしりと浮き彫りで囲まれていたり、
とがった鉛筆状であったり。
「千のミナレットの街」カイロでは、ここから日に五回、
お祈りの時間を告げるアザーンが朗朗と流れ、
クラクションに混じりあって漂う。
◆市場にて
せっかくなので、カイロ最大の市場、ハーン・ハリーリにも出かけた。
タクシーでたどり着き、昼食を食べながら、
市場の地図をぼんやりと眺めていた。
観光客相手のみやげ物通りをひやかすのも、疲れそうだ。
すでに香辛料などが並ぶ界隈を二周していた。
全体図と部分図を見比べていて、
このあとの予定のイスラム芸術博物館まで、
バザールを突っ切れば、なんとか徒歩で行けそうだと気付いた。
歩き出してわかったのだが、このムスキ通りは、
地元の人たちの買い物通りであった。
休日とあって、大変な人ごみとなる。
香辛料とお茶の店を過ぎると、衣類の店が続く。
通りの露台に売り子が立ち、
商品を掲げ、広げ、口上を大声で叫んでいる。
一枚より二枚、二枚より三枚と、ついうっかり買ってしまいそうな、
勢いのある言葉だ。
そこに、ベール姿の女性が群がり、競うように商品に手を伸ばしている。
立ち止まって見とれていると、
後ろからじゃまだとばかりに、体を押された。
下着店があった。
カラフルなブラジャーやパンティーが、
露台の上にぎっしりと、整然と並べられている。
見上げると半身のマネキンが、
すけすけのセクシーボディーランジェリーをまとっていた。
ご丁寧なことに、下腹部にはうすいグレーが透けて見える。
そういえば体を覆う黒いチャドルの下は(あるいは家では)、
何を身に着けても良いのだった。
市場には必ず、黙々と荷物を運ぶ人がいる。
兄弟だろうか、まだ幼さが残る顔立ちの少年二人。
カメラを向けると、まっすぐにレンズを見つめ、
笑顔となる。
ウェルカム、と一人が言った。
金曜日は礼拝後にデモがよくあるので、
前日はカイロ市内を避けてアレキサンドリアに遠出し、
この日を街歩きにあてていた。
出かけるときホテルのポーターに確かめると、
今日もデモがあるからタハリールには近づくな、と警告された。
市場の賑わいを歩いていても、
そのあとの博物館の閑散とした空間にいても、
街のすぐそこでデモがあるということが、想像できなかった。
夕方までうろついて、深夜のフライトで帰国した。
日本でニュースを検索すると、
この日のデモは、昨年のポートサイドの、
サッカー暴動に関するものだった。
暴動を扇動したとして捕らえられた若者たちの一部21人に、
死刑判決がすでに出ていた。
この日は残りの者に判決が下る日だったのだ。
判決をめぐってのこの抗議デモで、また二人の死者が出たと、
ニュースは伝えていた。
場所はタハリールのホテル前、とあった。
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