Egypt 2013 ② 喧騒のカイロ、静寂のカイロ

◆路上にて

カイロは大都市である。
アムロ君によると人口2000万人。
全8000万人を越すエジプト人の四分の一が住んでいる。
この数は、近郊も入れて、ということだとあとで調べてわかった。
それでも中心部にほぼ東京と同じくらいの人が住んでいるわけで、
よくぞまあと、帰ってきた今も思う。

なにがすごいといって車の数だ。
その車が、ひっきりなしにクラクションを鳴らす。
ホテルをタハリール広場近くにしなくて正解だった。

Egypt 2013 ② 喧騒のカイロ、静寂のカイロ

 

なぜクラクションを鳴らしっぱなしかといえば、
これだけの都市、これだけの車に、
信号がないからだ(交通整理の警官はいる)。
6日間あちこちを動き回って、私が見た信号はたったひとつ。
あ、信号だ、と珍しいものを見た気がして近づいた。
が、この信号、点灯していたのは信号機ではなく、
その下の88の文字盤のみ(どういう意味なのかは不明)。

おまけに車線がない(あっても誰も意味がわからない。 by アムロ)。
クラクションを鳴らしながら割り込むんだけれど、
横にだけでなく、縦にも割り込む。
割り込まれた側もクラクションで答える。

これじゃあ道路を横断するのは自殺行為だと、確かに思う。
街歩きツアーの際、アムロ君は開口一番、
危険だから道路は渡ってはいけない、と宣告した。

ところがカイロっ子は、平気でこの道路を渡る。
黒いチャドルの婦人が、子供の手を引いて、
大きな荷物をかかえて、悠然と道路を渡っていく。

カイロの道路は、かなり広い道路でも、車専用ではない。
車以外で目につくのは、オートバイより荷車を引いたロバ、
お菓子売りの台車を押している若者、
頭に大きなパンのかごを載せた若者。

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一番感動したのはお茶売りだった。
丸いお盆に、シャイの入った小さなグラスをいくつか並べ、
車道の真ん中に立ち、正面から車を向かえてシャイを売る。
走っている車がスピードを緩めると、さっと運転席に回り、グラスを渡す。

あってもなくても同じなのは、信号、車線、横断歩道に加えて、歩道も同じだ。
ホテル周辺のこと。
スーパーやお店探し、地下鉄駅までの行き返り、
歩道があるのに、皆が皆、車道をぞろぞろ歩く。
クラクションを鳴らされながら、駐停車した車をよけながら、
あたりまえのように車道を歩く。

実際に歩道を歩いてみると、理由はすぐにわかる。
歩道とは人が歩くためのところではなく、
茶店の店内と化していたり、
店の商品陳列台であったり、作業場所だったりするのだ。
私設駐車場となっているところもある。
あるいは、いきなり歩道が陥没してなくなっていたり。

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(もちろん、店を開く人も)

歩道を歩こうとすると、これらをいちいち車道によけたのち、
また歩道に戻るとうことを繰り返すことになる。
まことに歩きにくい。
すぐに私も、最初から最後まで車道を歩くようになった。
そして気がつくと、平気で車道を横断していた。
こつはナポリの道路と同じなので、しばらくするうちに感覚が戻ったのだ。
つまり、走っている車とコミュニケートすること。
渡るよ、というこちらの意思を全身で発信し、
車が、わかったよ、と答えてくれるサインを読む。
彼らはもしかしたら、一斉に鳴らしあうクラクションでも、
同じようにコミニュケートしあっているのかもしれない。

 

◆地下鉄にて

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地下鉄は旅行者に利用し易い交通機関だ。
それでも最初は、方向を間違ったら大変と、けっこう緊張した。
標識をじっくりと読み、加えて数人に尋ねさえした。
そうして目の前の車両に乗ったら、車内がなんだか変だった。
一瞬ののち、私以外の全員が男性だということに気付いた。

そういえばアムロ君が、女性車両に乗るといいですよ、と言ってたっけ。
エジプトでは(外国人に対してだけではなく)痴漢やセクハラが多い、
というガイドブックの記述も思い出した。
それほど混んでいないせいか、どうということもなかったけれど、
それでもたったの二駅間が、落ち着かなかった。

女性専用車両は真ん中あたり、ホームの停まる位置に、
女性トイレと同じマークと共にLadiesと、標識が掲げられている。
それからは専用車両に乗った。
イスラム圏を旅行して寂しいのは、
なかなか女性と触れ合う機会がないことだ。
それがいきなり女性だらけ。

こころなしか、みなリラックスしているように見える。
ベールを被っている割合を観察してみた。
スカーフで髪だけを覆っている女性も含めると、
私が座ってる8人がけの座席では、私以外の全員がベール姿。
向かいの座席はベールなしが二人、ありが6人。
うち一人が全身茶色の姿だった。
彼女は、目の部分だけスリットが入ったニカブで顔も隠すのみならず、
なんと手袋までしていて、一切の肌が見えないのだった。

ベールには慣れてきていたけれど、
この顔まで覆い隠すニカブには、まだ気持ちが少しざわつく。
女性差別だという欧米単純思考は脇に置いても、
自分と相手との対等性が、損なわれているような気がするのだ。
つまり、相手は私の姿かたちや肌の色、表情を観察し、
なにがしかの情報を得ることができるのに、
私にはそれができないという不公平さ。
断固とした拒絶的な色の質量だけがそこにあることの、居心地の悪さ。

その上で私は、自分がこのように全身を覆ったら、
どのような気持ちになるだろうと、想像してみた。
個人の属性を覆い隠して人の前に立つのは、
どんな気持ちがするものであろう。

日本人女性で、イスラムに入信し、最初はベールだけだったのが、
次第に肌の露出度を減らすようになり、
最後はニカブ姿にまでになった人のブログを読んだ。
彼女の選択に他者からの強要は一切ない。

彼女は、かぶってみたら落ち着くのだ、と言う。
人の(男性の)視線も気にならなくなったし、
なにより、イスラムの教えを守っているという安らぎがある。
あくまで個人の信仰の問題なのだと。
コミュニケーションの回路を、自分と他者との間にではなく、
自分と神との間に向けて開く行為、と考えていいのだろうか。

もうひうとつ、都市のすぐそばまで砂漠が迫っているエジプトでは、
ときに空気が砂っぽい。
まして砂漠地帯にいると、髪の毛が潮を含んだようにじっとりと重くなるし、
ポケットも砂でじゃりじゃりしてくる。
この気候に、ベールや全身をすっぽりと覆う衣服は理に叶っている。
選択の理由が、神との回路と風土による習慣だけであったなら、
どんなにすっきりすることだろう。

夕方、タハリール広場のあるサーダートで乗り換えると、
それまでひっきりなしにやってきては発車していた列車が、
乗り込んだあともなかなか動かなかった。
女性車両の混雑はすさまじく、私は奥へ奥へと押し込まれた。
通勤通学の帰宅時間と重なったらしく、学生風の若い女性が多い。

ぎゅうぎゅうにくっつきあって、やれやれと、
ヌビア系(南部出身で肌の色が濃い)の、
素晴らしくかわいい女子学生と目で笑いあう。
教科書を抱えたメガネの女性は、私の耳元で、英語で、
バッグに気をつけたほうがいいよ、とささやいた。

突然、少し離れたところで口論が始まった。
しばらく大声でののしりあったのち、
ついに片方が相手の肩を突き飛ばした。
それまで黙って見守っていた周囲の女性たちが、
まあまあととりなし、ふんっ、とお互いがそっぽを向いた頃、
ようやく列車は走り出した。

降りるのがまた一仕事だった。
降りる駅ではドア近くにいないと、あっという間にドアが閉まり、
降りられないからだ。
次で降りるんだよ、ドッキ、私降りる、と叫ぶと、
皆が自分の体を引いたり、私の体を押してくれたりして、
ようやくドアの前にたどり着いた。

降りて、ほっとして、列車を見送った。
彼女たちの髪を覆うスカーフやベールは色とりどりで、様々な模様入りで、
見事に洋服とコーディネイトされていた。
いきのいい女子学生たちだった。

 

◆イスラム寺院にて

今回、何箇所かモスク(エジプトではガーマと言う)に入った。
教会と同じように、モスクも年代によって様式が違う。

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モスクに絶対はずせないのは、ミフラーブと呼ばれるくぼみである。
が、教会の祭壇のような集中性を持たない。
広いモスクで、三箇所のミフラーブがあるところもあった。
これは、メッカの方向に向けてけてお祈りをするための目印に過ぎない。
とはいえ、時代により装飾が異なり、
アラベスクの幾何学模様のあしらいが、いずれもとても美しい。

その他共通するものは、このミフラーブの右隣にある階段。
これは説教壇で、この階段の装飾も見事だ。
ミフラーブと説教壇のある側を一面として、四角に回廊がめぐる。
回廊は何本もの柱がリズミカルに並び、絨毯が敷きつめられ、
ひんやりとした日陰をつくっている。

回廊に囲まれている、かなり広い中庭(広場)の真ん中に、
お祈りの前に身を清める東屋のような水場がある。
これもまた美しく装飾されている。
大きなドームを戴いたモスクでは、回廊や広場ではなく、
高く、いくつかの丸みを連ねた屋根に覆われた聖堂が、祈りの場所だ。
この全てを、靴を脱いで歩く。

中心性を持たない、一切の具象を排した、
眠気を誘うような複雑な繰り返し模様で装飾された寺院は、
キリスト教教会のような荘厳さではなく、
むしろ軽やかな静けさに満ちている。

回廊の柱にもたれて、コーランを、あるいは新聞を読む男がいる。
ミフラーブの傍らで、車座になって、
なにやら小声で語り合う若者たち。
説教壇の影には、体を伸ばして眠りこける男。
スタッフ?(なんと呼べばいいのだろう)の昼食用なのか、
たくさんのアエーシ(平パン)が、回廊の絨毯にじかに、
焼き立てを冷ますかのように並べられている。
中庭の、日差しに白く輝く大理石の床を、スカーフ姿の若い女性が、
素足をすべらかに、ゆっくりと、横切っていく。
金曜礼拝以外のモスクはどこも人がまばらで、
街路の熱気や喧騒とは無縁の世界だった。

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回廊やドームの外に、もうひとつはずせないものが建つ。
ミナレットと呼ばれる尖塔である。
渦巻状に階段がついていたり、びっしりと浮き彫りで囲まれていたり、
とがった鉛筆状であったり。
「千のミナレットの街」カイロでは、ここから日に五回、
お祈りの時間を告げるアザーンが朗朗と流れ、
クラクションに混じりあって漂う。

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◆市場にて

せっかくなので、カイロ最大の市場、ハーン・ハリーリにも出かけた。
タクシーでたどり着き、昼食を食べながら、
市場の地図をぼんやりと眺めていた。
観光客相手のみやげ物通りをひやかすのも、疲れそうだ。
すでに香辛料などが並ぶ界隈を二周していた。

全体図と部分図を見比べていて、
このあとの予定のイスラム芸術博物館まで、
バザールを突っ切れば、なんとか徒歩で行けそうだと気付いた。

歩き出してわかったのだが、このムスキ通りは、
地元の人たちの買い物通りであった。
休日とあって、大変な人ごみとなる。

香辛料とお茶の店を過ぎると、衣類の店が続く。
通りの露台に売り子が立ち、
商品を掲げ、広げ、口上を大声で叫んでいる。
一枚より二枚、二枚より三枚と、ついうっかり買ってしまいそうな、
勢いのある言葉だ。
そこに、ベール姿の女性が群がり、競うように商品に手を伸ばしている。
立ち止まって見とれていると、
後ろからじゃまだとばかりに、体を押された。

下着店があった。
カラフルなブラジャーやパンティーが、
露台の上にぎっしりと、整然と並べられている。
見上げると半身のマネキンが、
すけすけのセクシーボディーランジェリーをまとっていた。
ご丁寧なことに、下腹部にはうすいグレーが透けて見える。
そういえば体を覆う黒いチャドルの下は(あるいは家では)、
何を身に着けても良いのだった。

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市場には必ず、黙々と荷物を運ぶ人がいる。
兄弟だろうか、まだ幼さが残る顔立ちの少年二人。

カメラを向けると、まっすぐにレンズを見つめ、
笑顔となる。
ウェルカム、と一人が言った。

 

 

金曜日は礼拝後にデモがよくあるので、
前日はカイロ市内を避けてアレキサンドリアに遠出し、
この日を街歩きにあてていた。
出かけるときホテルのポーターに確かめると、
今日もデモがあるからタハリールには近づくな、と警告された。

市場の賑わいを歩いていても、
そのあとの博物館の閑散とした空間にいても、
街のすぐそこでデモがあるということが、想像できなかった。
夕方までうろついて、深夜のフライトで帰国した。

日本でニュースを検索すると、
この日のデモは、昨年のポートサイドの、
サッカー暴動に関するものだった。
暴動を扇動したとして捕らえられた若者たちの一部21人に、
死刑判決がすでに出ていた。
この日は残りの者に判決が下る日だったのだ。
判決をめぐってのこの抗議デモで、また二人の死者が出たと、
ニュースは伝えていた。
場所はタハリールのホテル前、とあった。

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