『遊牧という文化』–移動の生活戦略

先日出かけたサルデーニャも、羊の数が人間の三倍というところだった。
ヌラーゲという紀元前1500年前後に作られた石積の遺跡のすぐ隣で、羊たちは草を食み、首に下げた鈴の低く転がるような暖かい音が、風に乗って流れていた。

ずっと関心を持っている砂漠の人々も、遊牧の民である。
この本は、砂漠といっても、主にアフガニスタンに暮らすパシュトゥーン人と、
パキスタン南部のバルーチュ人の、ふたつの遊牧のスタイルをフィールドワークしたもの。

前者は夏の涼しい山岳地での遊牧と、冬の市街地近郊の密集した居住地を行き来するひとびと。その移動サイクルは、オスの子羊の毛皮の公益で活発な経済活動を行いながらかなり固定安定的である。

後者はそのような活発な経済活動を持たない。より貧しく、移動のサイクルも流動的で、オアシスのナツメヤシに寄食したりしている。

なるほど、遊牧民といってもいろいろなんだなあ、というのがよくわかった。

彼らは主に羊、次にヤギを飼っている。
ラクダは、交易ということではなく、移動時の荷物運搬用のようである。

付箋箇所。

(バルーチェ遊牧民の)キャンプを同じくするものの間の助け合いや団結は強く意識され、ひとつのキャンプの成員はハム・サヤグ(蔭をともにする)と表現される。

ペドウィンでも、やはり、ラクダはかなり放任されているらしく、とくに、気候が悪くて牧草の育ちが悪いとき、彼らはラクダの群れの放牧をやめて、ラクダの好きなところに行くにまかせるというのである。ラクダは自分自身で、豊かな牧草のあるところへと移動していく。そして、天候が回復して、自分たちの牧野が緑になったとき、人びとは自分たちのラクダを捜しに出かけるのだとういう。ペドウィンたちは、ラクダの色や年齢、性別についての語彙をたくさん共有しているので、聞き込みをしながらラクダを捜し出して回収していくことは可能であるというのである。

(サハラをラクダに荷物を積んで横断した日本人のこと、思い出した。何回もラクダに逃げられたけど、結構見つけられたのは、こういうことだったのかも。つまり、ラクダとは勝手にどこかに行ってしまっても、見つけられるものだということ。たとえそれが砂漠であっても)

遊牧民という概念が、一種の思想的魅力をもっているとすれば、人間世界の今後が、一種のボーダーレス化を迎え、社会生活のそれまでの規矩が乗り越えられるという思想的な予見があるからかもしれない。しかし、現実的には、国家という枠組みは細分されたり統合されたりして変動する傾向があっても、その拘束力はけっして小さくなっていくようには考えられない。逆に、民族や宗教といった枠組みはこれまれで以上に人間を拘束して、ボーダーを強化しているように見える。国家という枠組みが揺るがされるときには、かわりに、こうした新しい枠組みが登場する。全体として、人間の地球の上での動きには、むしろそれほど自由度をまして遊動化するようにはなっていないのではないだろうか。

(電子機器での情報伝達の発達があれば)人間の遊動は、現代社会においては、もうたいして意味をもちえなくなってきていると印象すらありえよう。
しかし、実際のところそうではない。
届けられる情報が多くなれば多くなるほど、人間が現地に行くことを要求するようにみえる。それは、情報量が増加し、情報の自己肥大のような情況を呈したとき、もっとも必要なのは、その情報を評価することにつきることになる。・・・かえって、知りたいと思っていることについての二次三次的な情報を区別して、求めている情報を評価するためには、その現場に立つことが必要になるだろう。

世界の情報の不均衡は、今に始まったことではないけれど、その不均衡ゆえにも人間は「政治にせよビジネスにせよ、結局、なにかを決定する主体が現場に行くことは、これからもその重要性を減らすことはないだろう」

「現場というのは現地ばかりではない。それは重要で中枢的な情報を大量に蓄積している人間(たち)でもありうる」
とはいえ。

「ウェアラブル(身につけられる)な情報機器」は、「再び遊動する必要に迫られたときに大きな意味をもつことになる」というのは、もうずいぶん前から現れていることだという気がする(ケニアのマサイ族の携帯電話の話を思い出す)。

この本が出版されたのは2001年初頭。
9.11と、アメリカのアフガン侵攻の前である。
その後のこの地域の遊牧民の暮らしは、どう変貌しているのだろう。
携帯電話とインターネットは、どれくらい普及しているのだろうか。

松井健/著 吉川弘文館 2001.1.1

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